~さくらのその~
2008年11月10日

原作は雑誌掲載当時から読んでいたし・・・前作の、つみきみほも観ているんだけど・・・
前者と比べて、いいと思ったのは関えり香さんの設定くらいかな・・・
チェーホフの戯作とラップさせたシチュエーションは、前作にない構成で脚本をふくらませるチャンスを広げているはずなのに・・・食い足りない作品になってしまっていた。
奇しくも作品の中で「もっと女のいやらしさをだして!」というセリフがあるんだけど、全くそのとおりの作品評である。
稚拙な素人考えながら、キャラへの「イジメ」が足りないのではないだろうか?
私がシナリオに手を入れるとすると・・・(以下の設定は当然ながら本映画とは、まったく異なります)
たとえば主人公は「賞取りテクニック」ばかりの音楽師匠に、アイデンティティーもパーソナリティーも否定され、自己の発現場所を求めている。
委員長は、優等生の要求抑圧から自宅の個室でたばこを吸っている。
高飛びの選手は膝を痛め、通っているスポーツケアのインストラクターの男に片思いしているが、コーチの先生と男は結婚の直前までいっている。
ムードメーカーのコンビは、片方が誠意のないカレシにより暴力を受けながらも追いかけをしており、コンビの片割れとは絶交状態にある。
そんな彼女たちの逃避の場所として「櫻の園」が核となってエピソードが展開していく。
主人公は自己表現として、舞台の目的を「紅天女」にまで高めようとしたり、委員長と高跳び選手は委員長の片思いが募って自殺騒ぎの一歩手前まで発展する。
う~ん・・・重そう・・・でもこの時期の健全な少年少女は、このくらに心の中ではアップダウンしていると思うけどナー・・・
前出の「女のいやらしさ」で言うと、少女達の心持ちが違うのかもしれない。
少女達はどこかで「私はカワイイ」「私はキレイ」「私がイチバン」とか思っていると思う。
女優達にも、当然それはあるはずなのだが、演じている画面からはほとんど感じられない。
これは・・・監督の責任だろうナー・・・もっと女優達を「イジメ」ぬくべきだったんじゃないかな~・・・
緋牡丹お竜さんも、もっと悪者にする方が面白くなったはず・・・
作品とは別に、寺島咲の普通な存在感と杏のビジュアルは将来性を感じた。
主演の福田沙紀ちゃんは・・・今回の作品がミスキャストだったことにして・・・次回作に期待しておこう。
あれだけ女優だらけで、キュンとした色気が全くない作品もめずらしい・・・
Posted by ダッタ at 17:41│Comments(0)